ノマドワーカーの雑記帳

教育に関する事、障害者福祉に関する事、ノマドワーカーに関する事を中心に書いていきます。よろしくお願いします🤲

「旅」の果てに② kokorokotoba著

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  まず、最初に私の人生の「旅」について振り返ろうと思う。原点はそこにあるので・・・

第1章 はじまり

私は、1978年9月に生まれた。男の子を望んでいた両親にとって望まれた存在なのだろうと思っていた。でも、母は違った。

泣くたびに「泣くな!」と肌をつねり、また気に入らないことがあるたびに殴り倒した。いわゆるネグレクトである。そんな状況を父親は仕事を理由に無視していた。父は、王手の商社に勤務し、営業成績もよかった。でも・・・僕には満足がなかった。楽しみもなかった。

友達と遊ぶときは、自宅で遊ぶことが許されなかった。社宅という理由もあったが、母親が強度な潔癖症だったのだ。

毎日、部屋を雑巾掛けし、外から帰ると雑巾で足をふかされる。

トイレは小学校6年までおまるでさせられていた。

そんな母を怖くて仕方がなかった。そして、何よりも愛情が欲しかった。私は、当時20数年前、ADHDとLDの発達障害を持っていたため勉強が全然できず、教室も飛び出ししていた。当然、友達もできるはずがなく一人粘土遊びや、戦隊ごっこ遊びに明け暮れていた。

ある日、家のタンスの中にお金が入っていた。

魔が刺し、そのお金を盗んだ。5万くらいだったと思う。友達が欲しかった自分は、それを友達に配り歩いた。結果、友達はついてきた。金と物が全てと悟った訳だが、虚しかった。

翌日、警察が指紋採取にきて、母親に知らないか問い詰められた。やったことを白勝したら、押し入れに3日間閉じ込められた。トイレ、食事のとき以外は外に出ることは許されなかった。私は、自由が欲しかったのかもしれない。友達も、そしてやりたいことも。小学校5年のとき、関西方面から転校した。転校先では、関西弁を馬鹿にされ「いじめ」の標的にされる毎日だった。結局、いじめにあっていたのだ。運動会の時、小石を後ろから投げられたり、教員が自分の上にのられ羽交い締めにされたり。笑い者にされたり。色んないじめを受けた。そんな中、母方の祖母とその再婚相手が味方になってくれた。母親に対して「そんなことをするな」とか言ったが「だって、あなたもしていたでしょ」と返しの言葉。

結局、中学生になりほしいものは祖母・祖父から買い与えられた。祖父・祖母は会社を経営しており、順調に成長を遂げていた。そのうち、物がお金に変わって行った・・・小遣いという魔のお金に。足りない分をほぼ祖母・祖父からもらうようになり、金銭的に派手な使い方をするようになった。中学を卒業すると高校では友達にカラオケ代を奢るとか普通にやっていたし、ゲーセンに入りびたっていた。その頃になると、母親と自分の体格さは歴然で、何かあると家の壁に穴を開けていた。でも、高校2年・3年とアメリカにホームステイへ行くようにしてくれていたことは覚えているし、今後の人生の「旅」の起点となったのは間違いない。

高校3年になり、進学を考えるようになった。2つの選択肢

1、アメリカへ留学  2、外国語大学への入学

この2択しかなかった。1、はTOEFL(外国語能力試験)で500点あればいいとのこと。惜しくも498点・・・でも、行きたかった。結局、ドアに穴を開け点数が足りなかったので諦めた。2、は数学があり撃沈。両方とも破れたのだ。結局、滑り止めだったFラン大学へ進学することになる。

続く・・・・

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